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 さて日曜日。いつもなら恒例のニチアサヒーロータイムレビュウの日なのだが。

 通年行事のスポーツ中継秋休みによって11月第1週は放映なし。


 こういう時にはかつての作品を振り返る特撮コラムみたいなものを一くさりでっち上げることにするかなー、ということで。


 今回は平成仮面ライダーシリーズ第2作であり、かの『クウガ』の後継番組として様々な意欲的な試みを盛り込んだ
 『仮面ライダーアギト』について思うところを述べてみようかと。

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 『地球幼年期の終わり』という作品をご存じだろうか。
 アーサー・C・クラークの手によるSFの名著。宇宙の住人の一員に加わるべく人類が「次の段階」に推移する様を見守る物語である。
 この作品の中に登場する「上主(Over Lord)」は人類の発展をコントロールすることでその進化の行く筋を定め、「旅立ち」の介助を担う存在。
 そしてその姿は、我々がイメージする「悪魔」そのもの。


 『仮面ライダーアギト』は明らかにこの作品を踏まえ、そして全く逆の構図を描いて作り上げられている。
 人類が「次の段階」に進むことを良しとしない創造主が、天使を遣わして進化の途上にある人間の殺戮を始めるのである。
 一足先に「次の段階」に移行した存在である主人公・津上翔一は、その意図に抗うべく同じく「ロード」と呼ばれる天使たちと戦うのだ。

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 「すでに仮面ライダーであるもの」津上翔一=アギト。その名の意は「ΑgitΩ(初めにして終わり)」。そのモチーフは竜であるとされ、神に叛逆する魔獣としてのニュアンスを持たされているとも取れる。
 当初は全くの本能的に戦っていたアギトだが、やがてそのモチベーションは人間的な意思と統一され新たな進化をも遂げてゆく。


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 「仮面ライダーになろうとしているもの」氷川誠の装着するG-3ユニット。それは人類が獲得したもう一つの特性である「知性」を象徴する存在であり、それ故にミスティックな要素を完全に排しライダーというよりはメタルヒーローのような体裁でもって全くのテクニカルに描かれている。「変身」という概念すら持たないのだ。
 劇場版に登場したG-4は、人間すら部品の一つとして組み込む描写でもってこの「知性」の暗黒面を象徴する存在であると思える。

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 「仮面ライダーになってしまったもの」葦原涼=ギルスは「次の段階」に進み損なったイレギュラーとして、おおよそかつての「仮面ライダー」の持つ負の側面を集大成するような形でそれを表現されている。
 この「出来損ない」がもがき足掻く(当初は完全な存在になるべくアギトをつけ狙う、という展開も想定されていたらしい)様を描写することにより、「次の段階」への推移という概念を重く描く意図があったのではないだろうか。



 かくの如く。
 平成仮面ライダー第1期の統合テーマであると個人的に思う「仮面ライダーの脱ヒーロー化」を「創造の神への叛逆」というあまりにも壮大な手法で描こうとしたのが『アギト』だったのではないだろうか。
 実際OPで大写しになっていたイコンや全くの「奇蹟」を起こして人を殺すロードたちの様子は今までの仮面ライダーを始めとするあらゆるヒーローものとは一線を画した「ただ事では無さ」を見るものに想起させて余りあるものだった。

 —だが。
 一方でそのテーマは朝の週一子供番組で取り扱うにはあまりにも壮大過ぎたとも思える。
 遠大なテーマに映像やドラマ作りが追いつけなかったというか。

 そんな感じで色々と惜しい作品ではあったと思うんだよね。


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A.V.S.&ドラティア
Posted byA.V.S.&ドラティア

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