2016/03/11

進歩の構造。

 人事にしろ、天命にしろ。
 「起きてしまった事」というのは基本、取り返しが付かない。
 
 過去に遡ってやり直すことなど無論できないし、
 どれほど懸命に取り繕ってみたところで、完全に無かった事にすることもできない。

 「過去」とは、決して何者にも曲げる事ができないものなのだ。実に当たり前の話。

 そんな、「起きてしまった事」をどう扱うか。
 一番前向きなのはやはり、「経験則」として今後の考慮に組み込むことだろう。
 「起きてしまった事」というのはまた、「起きてみなければ分からなかった事」でもあるのだから。

 ログを積み重ね、それに基づきアクションやルーチンをデフラグする。し続ける。
 何事においても、「学習」とか「進歩」とかいうのはそれが最も堅実かつ確実なプロセスなのだ。


 ・・・・・・どうも、保守的な性質の強い日本民族は、
 この「最適化」ってのがそんなに得意ではないんじゃないだろうか。


 温暖湿潤な地域に暮らす、古くからの農耕民族である。
 きっちりと暦を定め、筋道を立て、そのプログラムを墨守する事を旨とする。
 一方想定外の事態には弱く、それに対する対応も鈍い。
 システムのアップデートに、無根拠に抵抗感を覚えるのが普通。

 何か致命的な事象が起こり、対応をとらなければ今後がどんどんジリ貧になってゆくのが明白だとしても。
 そうそう更新することが中々できない。そういう性質なんじゃないかな、と。


 あの日以来、日本が劇的に変わったのかそれとも全然変わっていないのか、
 ちょっとあやふやになってきた5年目にして漠然と思うこと。今日は以上。
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A.V.S.&ドラティア

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