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 ・・・何やら最近、また世間で「いじめ」という行為が取沙汰されているように思える。

 正直教育現場においては何十年かに渡る懸案であるとは思うのだが。
 この歳になるといじめそのものよりも、それに対応する大人の側に色々と感ずるところがあったりもする。



 誤解を恐れずに言わせてもらえるならば。
 程度の差こそあれど、いじめの無い学校など、ない。



 人間性も社会性もまだまだお粗末なものしか持ち合わせていない年頃を詰め込んでストレスをかけ続けるような環境である。
 人を小突いて憂さを晴らそうって発想が出ないほうがおかしい。


 「我が校にいじめなどありません」などとドヤ顔で語る教師など実態を把握していない、あるいは目をそらしているだけであり、
 「生徒を信じています」なんて物分りがいい様に聞こえて何も分かろうとしない物言いをしてその辺を粉飾しているに過ぎない。

 教え子の事よりも自分らの都合を優先する時点で、
 いじめの無い学校など望むべくもないのだ。


 基本的に。
 人間という奴は他者を攻撃する行為に快感を覚えるように出来た生き物だ。
 切欠さえあれば、人死にが出るほどの攻撃性をむき出しにする。
 人間性社会性が未熟なら尚更のことだ。

 そんな生き物相手に、
 良心に訴えかけるようなやり方一辺道でいじめ対応したって効果はまず、期待できない。
 これがこの懸案が連綿と続いている要因なんじゃないかな。

 人のこういう側面と向き合い、
 それに折り合いをつけるような方法を模索することがいじめを減らす有効な方法だと思うのだが。
 そういうアプローチをしている運動を、ついぞ聞いた事がない。

 お為ごかしに終始しているのは、
 結局いじめ当事者よりも自分たちの都合を酌むのに汲々としているが故なのである。
 
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A.V.S.&ドラティア
Posted byA.V.S.&ドラティア

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