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 「子供の好きなもの」の筆頭候補のひとつでありながら今まで取り上げられることのなかった「鉄道」をモチーフにして1年走り続けたスーパー戦隊シリーズ第38作『烈車戦隊トッキュウジャー』。
 「自分以外何も見ることの出来ない」深い孤独の闇の中でキラキラの輝きを探す物語も今回大団円。

 それを含め、今週のヒーロータイム。

 お話自体はいつもの小林節―「隔絶の絶望からそれまで培ってきた絆で救い上げる」という展開であった『トッキュウジャー』。そして、そもそも彼ら5人が闇に沈んだ街の中から選び出されトッキュウジャーとなれたのは何故か。それ自体が、この大団円を導く鍵となった。彼らがレインボーラインに乗り込めるほどのイマジネーションを持ちえたのは、そんな人格を育める家庭にあったから。5人中2人までも片親らしき描写もあってそれでも尚という意味合いからも、最近は薄ら寒い報道もよく耳にする「家族」に関してのひとつの理想形を示して見せたとも思える。
 一方で通常「絶対の悪」として描かれるべき戦隊シリーズの敵としては極めて異質のスタンスでもって造形された闇の皇帝・ゼット。人間の暗いエゴイズムを象徴する闇の頂点にありながら人の内包する「自分以外の誰かを思い遣る気持ち」に憧れ続けた彼は、結局それが我執たる闇に負けないものであるかどうかを見てみたかったのか。最後まで彼の求めるものを理解しえなかったネロとモルクさえもがその「キラキラ」を示して見せたことで、彼はある意味満足して消えてゆく。その我執の孤独は、闇の住人の中にあって初めて自ら「キラキラ」を持ちえたグリッタが拾い上げてゆく。究極の孤独の魂も、最後に救済があったと考えていいのだろう。
 総括として。初めて「本来の視聴者の年代」を少々の裏技を用いて主役に据えたこのスーパー戦隊は、一足先に「エゴの闇に塗り潰された現実世界」のカリカチュアを体験した子供たちの物語ということになるのだろうか。それでも尚、夢見る気持ち、誰かを思い遣る心を忘れないように。そんなメッセージがこめられている・・・とするのは聊か説教臭いか。『烈車戦隊トッキュウジャー』。何だかあっという間の1年間だった気がする。


 さて一方の『仮面ライダードライブ』である。割とこの時期に決まって現れるような「正義」という概念に切り込んでゆくEPとなるのか。現在現実に世界中で銃弾をばら撒いている某集団が「神の正義の実行者」を自称していることとも微妙にリンクしている気もしなくもない。あの老元刑事がロイミュードの原型なのは予想できることではあったが、彼が何故そうなったかはまだこれから。ロイミュードを異常に敵視する剛の背景にも切り込むEPとなってゆくのか。
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A.V.S.&ドラティア
Posted byA.V.S.&ドラティア

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