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 今日は何の日ー?

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「913の日って解釈でいいのかなぁ?」


 ―まぁ、それを機会に。
 不定期特撮コラム。平成仮面ライダーシリーズ第4作『仮面ライダー555』の話をしようと思う。

 「仮面ライダーの脱ヒーロー化」を裏テーマに持つと思しき平成ライダー第1期。前作『龍騎』に引き続き「仮面ライダー」という概念に大きく切り込んでいった本作。
 しかしながらどこか原点に立ち返った作品でもあったと思う。

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 「もしも。人々の中に異形異能の怪物が紛れ込んでいたら」。
 A・E・ヴァン・ヴォクトの『スラン』以来扱われ続けていた物語の骨子。
 それを人と人ならざるもの、両方の視点から描くことにより『555』は「仮面ライダー」を始めとする石ノ森ヒーローの「狭間でもがくもの」という側面を蘇らせることになった。

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 人としての命を失って尚異形の生を受けた者たち「オルフェノク」。
 だがその内面まで異形と化すかどうかは当人たち次第。
 そうして「人」と「人ならざるもの」の境界を何処に求めるのか、がこの作品のテーマだったわけだ。

 さて、何せ11年も前の作品。メインテーマ云々はすでに語り尽くされた感もあるので。
 『555』に登場する「仮面ライダー」とは何なのか、について取り上げる。

 前作『龍騎』から「仮面ライダー」という言葉自体のニュアンスから変えてしまう試みを始めた平成ライダーだが、
 本作ではそのあり方のレベルからのニュアンスが変わってしまっている。


 ファイズを始めとする「仮面ライダー」とは、完全な「道具」でしかないのだ。


 オルフェノクが用いる戦闘用ツールに過ぎず、
 誰が用いるかでその行動理念も根本から変わってくる。
 「特定の人物のもう一つの姿」という前提すら、破壊してしまったのが『555』である。
 「龍騎」とはまた別の形で「仮面ライダー」のヒーロー性を真っ向から否定しているのである。

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 その性質を反映してか、ファイズを始めとするライダーたちのデザインは極端に工業的。
 用いる武器も携帯電話やデジカメやピノキュラーといった身近な道具がモチーフだ。

 それはすなわち、主人公・乾巧さえも人の中に紛れる異形の一人であるというこの作品最大の仕掛けにおいて、
 それでもそのあり方をどう置くかという面を描くためのガジェットでもあるわけだ。

 それは、実は平成ライダーでも唯一、空前絶後のあり方であると言える。
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A.V.S.&ドラティア
Posted byA.V.S.&ドラティア

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